思い込み その8

不幸そうな人や相談してくる人には近づかない。
来ても逃げる。悪口ばっかりの人からも逃げる。自分の
感情がどうなっているか。思い込みを排除した状態で。

自分が思い込んでいる通りの現実を体験している。思考
で少し思ったぐらいでは変化しない。思い込み次第で
どちらにも真逆の事も起こってくる。本当に自由。だから
コントロールする必要はない。思い込みも適当で、理由
もなくその現実を引き起こすためだけに存在しているの
だから、変えても問題はない。感情は、その感情になる
ことと、思い込みの間に相反関係があるか確認するため
だけのもの。思い込みより感情の方が正しく、そういった
感情を維持できる現実をつくりだす。

全ての事は自分で判断している。羨ましいと思う事でも
客観的な出来事を自分がいろいろ考えて判断しているだけ。
羨ましい事かどうかわからないが、自分が知らないだけで、
そうした事はもっとたくさんあるはず。あまり気にしない。
執着しない。それより自分の望む事、楽しい事に意識を
向ける。仕事も適当でよい。自分の思考にだけ焦点を向ける。
自分からは仕事以外で話しかけない。話をしないといけない
という思い込みがある。それが判断や抵抗、執着を生んで
いる。他人を無理して尊敬したり、良く思う必要はない。
たとえ親切にされていても。半分からかい気味が丁度良い。
自然に尊敬する時以外は年配でも心の中では適当に考える。

目上の人や親しい人を敬ったり、尊重したりするのに、
感情的に苦しい(ネガティブになることがある。そういう
ことは本来、自然に湧き出てくるもので、敬わなければ
ならないという思い込みが苦しみを生んでいるのかも。
楽しく考えれば良いのでは。誰にも言わなければ。

被害者意識が出てきても全てエゴのつぶやきだと気づき、
反応せず笑って過ごす。そして望む事を考える。被害者
意識が出てきても構わない。それが「駄目だとか。出て
くるなんてとんでもない。すぐに消さなきゃ。」という
思い込みが苦しみの原因。

儲け → 信じる者(ex,望めば望むだけ金が入る。)は
その通りの現実を体験する。

思考について、エゴなのか、意識したものなのか区別する
こと。エゴは自分に何ら影響しないので、消えるまで放って
おく。放っておけば、エゴは言いたい事を言って終わって
しまう。その後、意識として自分の望む事を考える。エゴ
はしょせんエゴ。撲滅する必要はない。気にせず気づくだけ。

他人を大事にしなさいと言われるが、まず自分を大事にして
からだろう。自分を大事にできない人が、他人を大事にでき
ないだろう。どこか無理してそうと、自分の中の声が言って
いる。だから、放っておいてとりあえず自分が満足できる
ように、意識を向けよう。自然と他人を大事にしようとする
のはそういう事ができてからだし、それでも周りの人から順番
に広げていけばいいだろう。

自分の心の声と調和して、楽しく過ごす。他人の声はあくま
でも参考。気軽にやる。適当に続ける。その方が習慣になる
から。自分がよく見える(考える)世界が現実となる。

どんなことでも過大・過少に評価・判断しない。どんなもの
でも完璧なもの完全に駄目なものなんてない。どこかその反対
部分も見えてくる。それも含め軽く考える。

これまでエゴの言っていることを真実だと思い込んでいた。
潜在意識は、外部からの情報を顕在意識がOKし、それが何度
も続くと潜在意識の中に定着してそのまま現実化していた。
だから顕在意識は門番だ。だが、完璧に許可・不許可の判断
をできていない。不意に入ってきた情報など無意識に入って
きて、そのまま定着してしまうことがある。だから、環境は
大事だし嫌なニュースとかは見ないほうが良いというのは正解
である。