思い込み その2

比較することは、何か価値観や思い込みがあって、
それに照らしてあわせているから、優劣がある。
しかも、その思い込みが大事であったり、大きく
真実のものと思うから、すぐ比較してしまうのでは。
あくまでも、作り物の思い込みや常識だから変えるか、
そもそもなくしてしまい、それらについての価値観や
思い込みがなくすと比較する基準もなくなるので、
何も反応しなくなるようにするようにするには
手っ取り早い。

散歩、しかもいつも自分が歩いていて、あまり危険や
不安を感じない所ですると、心に集中しやすい。
まわりが移っていくので、特に集中できる。
私の場合、瞑想もいいけど、体力増進がてら
散歩もしよう。自分を観察するのに調度良い。

全ての事に、善悪、優劣、必要性の有無なんてないんだ。
エゴが作り出した思い込みに過ぎないんだ。
だから、自分がポジティブになる思い込みをしていれば
良い。世界、国、老若男女、過去未来と思っている
ことは、全てこれまで蓄積してきた思い込みなんだ。
特に主観的な所、本当の客観的なことなんて一部。

思い込みでたぶん日本人に多いのは年上や先輩を敬い
尊重しなきゃいけない。自分が控えめにある美徳。
出る杭は打たれる的な考え方がある。あと、苦労は
つきものだから、苦労してこそ結果があるとか、価値が
あるとか。質素、倹約に努めるとか。ありとキリギリス、
うさぎと亀みたいに努力していないと後で苦労したり
後悔したりするという恐怖感。そう考えると童話って、
教訓を受け入れさせるために恐怖や不安を煽っている
んだな。どれも、だめじゃないけど、絶対的な真理でも
ない。あくまでも一つの考え方。だから、そんな
思い込みは排除すればいいんじゃないかな。年功序列
ふくめて、自分が負担となる思い込みは採用しなければ。
鬱陶しいじゃん。中身のない人に限って、そういう事を
グチグチと言うからだと思っていたが、そういう思い込みや
エゴに囚われているから、そういうふうになるのか。
これも思い込みかもしれないけど。

許容・可能にしている今の思考とは思い込み、信念、
常識、当たり前、固定観念の事だと思う。
(実践 引き寄せの法則 P60の8行目は言い換えると
「それによって、感情はあなたが先取りして既に
なっている自分との波動関係を示している。」)
先取りしてすでになっている自分に対して、思い込みや
信念、常識、当たり前だと思っている事、固定観念
どのような関係であるのか。たいてい、障害になって
いるとネガティブな気分になる。噛み合わないからだ。
その場合、どうすべきか。そういった、思い込みを
なくして、新しい思い込み(特に先取りして、既に
なっている自分と噛み合っていて相性の良い考えが
思い込みになるようにするか。少なくとも、噛み合わない
思い込み自体をなくす必要がある。だから、「許容し
可能にする」とは、思い込みを変えるということ。

思い込みや信念、固定観念、当たり前と思う通りの事を
外面世界に創出している。その前に思い込みによって
自分の感情が現れている。思い込み等に基づき、自分が
思考や感じたことがそのまま現実になって現れる。

結局、エゴやペインボディーの養分になっているのは、
思い込みや信念、固定観念、当たり前、真理だと思い込んで
いること。絶対なんてものは何もない。
だから、引き寄せのために新しい考えを作れば、いつか
それがエゴによって苦しみの原因になるかもしれない。
だけど、思い込み等を全てなくせば、おそらく欲も
なくなってしまうだろう。この状態にお釈迦様はなった
のかもしれないが、まだそこまで行く気にはなれないな。
とりあえず、思い込みを変えよう。

自分の内心を観察して、思考と感情がどのようになって
いるのかを観察してください。例えば、他人と楽しく
喋らないと、女性と間髪入れず楽しく話をして楽しませないと、
集団の会話内で自分だけ話をしていないのは悲しい、
駄目なことだ、人には優しく、こちらが負担になってきても
何かしてあげないとと思ってしまう。こういう時、感情が
ネガティブになっているかどうか確認してください。
どんな時でも、人間として最低限したほうが良いと思うことでも、
自分の気分がネガティブになるなら、それは自分に合わない
価値観や常識が残っているということです。それに気づく、
そうすると自然に消えていく。それが絶対なものではなく、
あくまでも、自分が選択した思い込みに過ぎないのだと気づく
こと。こんなことしたら神仏の罰が当たるのではと思っている
ことも、思い込みであって神仏はそんなこと言っていない。
人の事はあくまでもその人の事、解決する事なんかできない。
解決している状態を思考してあげることぐらいしかできない。
あまり、話を聞いてあげるのも、無意識に残ってしまうことが
あるから、心の中で「その考えには同一化しない」と思って
聞くか、聞くのをやめるかだと思う。(「今にある」状態に
なる。)

優越感なんて、それこそ一時的なものなので、それを感じたら
優越感が出ているなと気づくだけ、それと同一化しない。

今、僕は幸せ。幸せな状態、全てにおいて、仕事も、食事も、
人間関係も全て幸せ。願いを叶えるには、ポジティブな状態で
更にポジティブになりたいと思うことらしい。今も、充分満足
していると良いみたい。

ネガティブになったら、その後にある思い込みを探ってみよう。
それが生きづらくしている原因だ。

願い事の裏にはそれに対する思い込みがある。
 お金が欲しい → お金を稼ぐことは難しい。
 彼女が欲しい → 自分はモテナイ。
 健康的な肉体になりたい → 運動して健康的な肉体を維持
               するのは難しい。
 全て思い込み、この思い込みが邪魔をしている最大のもの。

メディア(テレビ、新聞、ネット、映画等)は無意識の内に
価値観を押し付けてくる。そして無抵抗にその価値観を受け
入れ易い。特にテレビは、信頼度やリアリティのある設定が
高いから、受け入れてしまいやすさが高い。でも、自分に
あわない場合は受け入れてはならない。見ているときも見ている
という行為に質を高めるというか、「今にある」状態で見て、
自分にあったものだけを受け入れる。本や、講演会などでも
そうだし、普段の会話でもそうだ。

もうすでに、望みという形で注文をしているのだから、あとは
レストランでテーブルに食事が届けられるのと同じように安心
していればよい。信頼していればいいんだ。自分の注文したこと
に対して。

少しでも嫌な気分になれば、その奥には思い込みがあるから、
その思い込みに気づいて、少しでも良いからましな気分になる
思考を選択する。

完璧じゃなきゃという思い込みがあると、それも苦しくなる。
だから、適当で楽しくやってればいいのだ。


今、客観的に起こっている事(ex. 雨が降る)は誰にとっても
変わらない。ただ、それをどうとるのか。(ex.良い → 雨音が
きれい、悪い → ムシムシする)また、その前提として価値観が
ある。それによって前述の反応を無意識にしてしまう。だから、
ネガティブな反応をすれば、それはどうでも良い思い込みがあり、
選択したくなればすぐに止めることもできる。必要なものだと
勝手に思い込んでいるだけなので、そんな事はすぐにやめる。
どんな時でも、今幸せなんだと思考する。別にキラキラ★ハッピー
のように無理矢理テンションを上げなくても良い。思い込みさえ
捨てれば、それ程ネガティブにならないはずだし。

知人とは仲良くしなくてはいけないとか、笑顔で接しないととか
思わなくても良い。喋りたくなければ喋らず、自分の心の安定、
幸せな気分を高めていけばよい。でも○○じゃないか。と思うのも
思い込みと、それにつけこんだエゴとペインボディーだよ。
知人に対する思い。良く接しないといけない、という
思い込み。気にしているという思い込み。知人と話をしたり、
異性関係や一般的な人間関係では負けてしまうのではという
思い込み。人生で負けているという思い込みなどが有るのでは。
でも、全部自分が選択した勝手な証拠もない思い込み。
自分がこれを選択しなくなったら、どうなるんでしょうね。
それに、仮に知人と話をしても、どのような事が
起こっても、僕は幸せのままならどうなるでしょうね。
僕はどんな時も「幸せ」のままでいられることができるということ
がわかった。知人が何を言ったり、何をしたり、
どういう状況であっても、自分の幸せとはなんら関係ないし、
「幸せ」のままでいられる。

周りが、外部がどうであろうと、思い込みによる無意識の反応で
エゴやペインボディーと一体化せず、ただ、幸せを選択していたら。
別に幸せを選択していなくても「今にある」(呼吸や行動に質を
高めていく)になっていたならば、それで良い。

ネガティブなことを惹起する客観的事実を無視するのではなく、
ネガティブになる関連付けを外してしまう。ただ、ニュースとか
もともと知らなかったネガティブな事は見なくても、それは無視
しているわけではないから大丈夫。極力そういうのからは避けて
おきましょう。

結局、すごく単純なことなんだけど、それを理解し納得するのは
人それぞれだから、人によって違うんだろうな。ただ、まだ結果を
出してないから、これが正解かはわからない。まあ、とりあえず
幸せを選択しておこう。どんな時でも幸せを選択しておこう。
そのためにも、自分の状態を観察して気づく、「今にある」って
今の状態、動いていたら、今右足を出したとかの感覚を感じる。
外部の音、目の感覚、耳の感覚、風の感触、
体温、呼吸、お腹の呼吸、周辺や背後の雰囲気や感覚などを
感じることなんじゃないかな。

潜在意識は、全てのものを作り、指示を出している存在。自分の
目玉を見られず、耳(鼓膜)の音は聞こえず、鼻の臭いをかけず、
自分の肌の感触を感じられないのと同じで、潜在意識を感じたり、
理解しようとすることは難しい。ただ、繰り返し、繰り返し、
思考した事が、潜在意識となり寝ている間も含めて無意識に思考し、
感情として現れ、世界を作っていくのなら、行動ですることに
比べて、どちらがどれだけ効率的かってこと。

適当にやろう。責任感なんていらない。と思っていて、それが
当たり前になるのはいいが、適当にできていないと自分を責めれば
何のためにそう思ったのか意味がない。
どちらでも良いし適当でよい。行動を評価せず、思考の中だけで
そう思うだけど良い。実際できてないため仕事をしたくないと思う
時は、無意識に仕事をした内容を評価しているんだろうな。
評価しない。行動はどうでも良い。一番大事なのは、感情を指針と
した思考、「今にある」が一番だけどね。

今持っている願望って、これまでうまくいってなかった結果、
願望となっているパターンもある。当たり前にできている事は
願わない方が多いから。でも、うまくいってなかったという事は、
その前提としてうまくいかないという思い込みがあるんじゃ
ないかな。だから、その思い込みを外してあげれば、スムーズに
進むのかもしれない。

今考えていることは、たいてい何らかの思い込みに基づいて思考
したり、感情となって出てきている。という事は、その思考が
潜在意識に作用しているために、結局願い通りの世界でその思考
通りの苦しみのある世界を想像し体験している。何も考えなければ、
宇宙意識からのパワーを直接受けることができるし、ネガティブな
思い込み、思考、感情を排除した最低でも±0の世界を体験できる
のではないだろうか。

食事やお風呂の邪魔をされるのが当たり前、そういう状況だと
思い込んでいる。だから、その通りの世界を体験している。
思考が先にある。そしてそれに対して抵抗している。

今しかない。今と仲良くしないと、エゴは過去や未来と勘違いさせる
幻想の世界を見せて「今」をも一緒に否定させてしまう。今しかないから、
過去や未来は思考の中にしか存在しない。特に主観的なものは。
あるのは「今」だけ。感覚として触れることができるのは。

今しかない。何かを考える時どうしても未来や過去を連想してしまう。
その段階でエゴと同一化しているということだ。ありもしない
過去やいつまでも来ない未来に執着していて、今を置き去りに
している状態なのだが、幻想を思考しているから。今からしか
現実は想像されないので、今までとよく似た現実が継続する。

内面を観察するには、まず体力が必要。健全な体調を維持しないと
観察する気力もなくなる。外部の状況もできる範囲内で、自分の感情が
よくなる程度に清潔に明るい環境を維持できれば良い。

体験も思い込みの結果、体験している場合がある。喋らないと
人間関係が良くならないとか、楽をしていると後で大変になるとか、
他人に親切にしないと親切にされないとか思い込んでいる。
今までの人生が負けている状態だと思い込んでいる。ある人との
関係で負けていると思い込んでいる。全部思い込み、それをエゴに
突かれているだけ。より良くしたら優越的な状況になるというのも
思い込み。だから、自分が望むなら人間関係でももっとサバサバ
していても良い。どうせ今だけの関係だし。適当で良いのだと思うこと。

過去の行ったと思っている事も未来の行われると思っている事も
本当にあったのか、あるのかわからないのにそれを「今」の時点で
抵抗している。一つ言えることは、「今」はそれらは何も起こって
いない。起こっていないのに抵抗だけしている。起こったと思って
いることも思い込みに過ぎないし、起こるであろうと思っている
こともわずかな過去から推計しているだけなので思い込みの最たる
ものだが、それに執着していて「今」から離れている。

散歩や写経、読経をしているとき。それ以外でもいいが思考が止まって
しまう行動をしていると「今にある」状態なのかもしれない。
特に、般若心経がいいらしい。

これも忘備録。今のところも変化なし。